君の名前で僕を呼んで(Call me by your name)は、17歳の少年のひと夏の恋のお話です。携帯電話のない時代の避暑地の美しさと熱い日差しを背景に、父の大学助手に対する恋心をティモシー・シャラメがその美貌と切ない眼差しで訴えます。彼の両親のエリオの恋への慈愛に満ちた理解、そして父親の心に染み入る言葉にとても惹かれました。でも、「君の名前で僕を呼んで」の本当の意味とは何でしょうか…。
監督:ルカ・グァダニーノ
キャスト:ティモシー・シャラメ、アーミー・ハマー、マイケル・スタールバーグ
甘く、切なく、苦しく、そして美しいひと夏の恋
1983年夏の北イタリア避暑地。
長く暑く気だるい休暇を家族とともに過ごす17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)のもとに、大学教授の父の助手、大学院生オリバー(アーミー・ハマー)がやって来ます。知的な家庭で育ったエリオは早熟で少々傲慢な性格ですが、何でもそつなくこなしてしまい、オリバーに「君は何でもできるんだな」と言わしめるほどに知的で音楽的才能もあります。
そのエリオが段々とオリバーに惹かれていくさまが、北イタリアの美しい風景とごく些細な会話と仕草によって淡々と途切れることなく編まれていきます。
二次元空間の映画という世界であるにもかかわらず、まさに目の前にエリオとオリバーがいるような錯覚をも覚えるような不思議な作品でした。
ひとつひとつの言葉と動きが、彼らをそっと触らせたり、遠ざけたり、また強引に衝突させたりしながら、徐々に彼ら自身を近づけていきます。桃を使ったマスターべションを見られてしまったエリオ、水に飛沫をあげて自ら落ちるオリバー、足を水につけてかき回す仕草などが、静かに彼らの感情を揺らせていきます。
特にエリオの成人前の美しさとその表情からあふれる恋心に、わたしたちの心も締め付けられます。自分の心が欲しているものが、一体本当に得られるのか、それとも得られる前に失われてしまうのか。
欲望と恐れにかき乱される彼の感情が報われたのもつかの間、呆然と駅のベンチに座った彼はようやく立ち上がり、母親に公衆電話から電話をかけます。
「ママ?今駅にいるんだ…えーと、ねえ、迎えに来てくれない?」声が涙で詰まってしまいます。
ここらへんからもうわたしは涙が止まらず、結局最後のエンドクレジットが終わるまで泣いていたのでした。
こんな父親が欲しいと思いませんか?
旅から戻った傷心のエリオに、彼の父(マイケル・スタールバーグ)が静かに言います。
「ひとの心と肉体はたった一度しか与えられないものなんだ。そして、そのことに気づく前に心は擦り切れてしまう。今はただ悲しく辛いだろう。だが、それを葬ってはいけない。お前が感じた喜びをその痛みとともに葬ってはいけない」
何という慈愛と理解に満ちた父親でしょう。
一言もエリオとオリバーの関係について問いただすこともなく、「お前たちが羨ましいよ」と微笑みます。自分もはるか昔にそうした感情を持つ寸前まで行ったのに思いとどまった後悔がにじませて。
「君の名前で僕を呼んで」の本当の意味とは
ひとは「不完全な存在」です。どんなに金持ちであろうとも、成功を求めて得られようとも、好きなひとと結婚しようとも、満たされない部分は常にそこにあります。
たとえば、独りぼっちでポツンと部屋に座っているとき。たとえば、雑踏の中でいきなり孤独感に襲われるとき。
オリバーがひとりの女性と身体を絡ませてダンスをしています。それを悩ましげに見るエリオがまさにその「不完全な存在」です。
そして、エリオとオリバーが初めて愛を交わしたあと、オリバーが言います。「君の名前で僕を呼んで。そうしたら、僕も君を僕の名前で呼ぼう」
その瞬間、その場面で、一体どこからどこまでがエリオで、どこからオリバーが始まるのか、彼らにもわたしたちにもわからなくなります。相手と心も身体も一体となることで得られる「完全な存在」としてのふたり。
エリオはオリバーで、オリバーはエリオ。
その純粋で力強い完全なる結びつきを表した言葉が「君の名前で僕を呼んで」となったのだと思います。
続編がつくられる噂が…
監督のルカ・グァダニーノよると、この映画の続編を作る企画があがっているようです。1990年代に入った5−6年後の物語で、原作の使われなかった部分をヒントに、彼らが旅に出る話になると言います。
主役のふたりもそのまま合流するようで、この作品で彼らのファンになったひとたちにとっては、期待にワクワクするニュースでした。
最後のオマケは、アーミー・ハマーで
アーミー・ハマーのインタビューを見ましたが、彼にとって一番気まずいシーンというのは、ティモシー・シャラメとのラブシーンではなく、なんとあのちょっとした野外パーティーのダンスシーンでした。
あの場面の撮影ではなんと全く音楽がなく、スタッフが木の棒で地面を叩いてリズムをとっていただけなのだそう。それに合わせていかにも楽しそうに踊るのは「アホみたい」だったと言っていました。
また、ティモシー・シャラメのインタビューでは、アーミー・ハマーのショートパンツがどうも「サイズ的に合わなかった」らしく、いくつかの場面で「はみでた***」をコンピューター処理で消さなければならなかったと暴露されていました。
もうひとつ、この「君の名前で僕を呼んで」はアンドレ・アシマン原作で本が出ています。映画の終わりよりもう少し先まで書かれていますし、原作もとても美しい筆致ですので、英語の練習にもいいかと思います。
何よりも、エリオとオリバーのその後。気になりますよね。
そして、この小説のオーディオブックもアマゾンから出ています。読んでいるのはなんとアーミー・ハマー自身です。耳で小説を読むのもいいものかもしれません。
甘く切ないひと夏の恋。
BL好きな女性たちだけの映画ではない。「10代のころの自分」を思い出してホロ苦い感動に浸ってほしい。