製作国:アメリカ
公開:2008年
監督:マイク・ニューウェル
原作:ガブリエル・ガルシア=マルケス
キャスト:ハビエル・バルデム、ジョヴァンナ・メッツォジョルノ、ベンジャミン・ブラット
ガルシア=マルケスの原作とその映画化
わたしは原作の熱狂的なファンで、最後の船旅のシーンで息ができなくなった読者のひとりです。それほど、美しいシーンでした。そして、それを言葉で表現できる作家、ガルシア・マルケスに心酔しました。その彼が唯一首を縦にふった映像化がこの「コレラの時代の愛」です。
だから期待していたのですが、やはり名作を映像化するのは困難だという良い例でした。
貧しい若者は裕福な家庭の娘に恋をし、引き裂かれ、待つ
郵便局電報係の若者フロレンティーノ(ハビエル・バルデム)は裕福なラバ商人の娘フェルミナ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)に恋をします。
ところが、娘に最高の結婚をと望む父親に引き裂かれ、フェルミナは高名な医者(ベンジャミン・ブラット)と結婚してしまいます。フロレンティーノはその後、彼女への愛を保ち続けながらも600人以上の女性と関係を持ちます。
そして、フェルミナの夫である医者が事故で亡くなり、彼女はひとりになります。「51年と9ヶ月と4日待った」と葬式の日に突然現れるのは、76歳のフロレンティーノでした。
端々に現れる男の気持ちにはもちろんマルケスの本の表現が用いられていますが、何しろ半世紀という「時」を追わなければならず、必然的に2時間では追いきれていません。
マルケスの本「コレラの時代の愛」はその長い長い時を細やかなひとつひとつの描写の積み重ねによって描いているのです。映画では、表面的に筋を追うのが精一杯で、原作の「時」の重みが感じられないのは仕方のないことなのかもしれません。
俳優たちとその時の流れにとまどう
若いときの彼はハビエル・バルデムではなく無名の若い役者が演じていて、彼女役の女優はそのまま十代から七十代までを演じます。
1年のときを経て二人が再び出会う場面での彼女の拒絶は、あまりにもバルデムの顔が若い時を演じた俳優と違いすぎるからではないのか、という下賤な想像がアタマをよぎって困りました。
船旅、そして象徴としての真実の愛
最後の船旅シーンは、原作で描かれたとおり息をのむほど美しい。
だからわたしはこの映画に「駄作」の汚名を着せられないのだと思います。作品は上滑りですが、確かにカメラワークは完璧な壮大な悠久の世界を描いています。
二人が50年を経て結ばれたあとの言葉「永遠なのは死ではなく生なのだ」が、美しい川と客船の情景をともなって、せつなくそして浄化された愛の世界を謳っていました。